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 鳩尾板/栴檀板を片山式、絵韋を大内義隆が厳島神社に奉納した黒韋威鎧と同じ青海波梵字龍で特注した小桜韋威鎧です。
   
 
 
   
   
   
   
  日本在来馬による走破能力実験

日本在来馬による走破能力実験
@tono_mikado
1.はじめに

 近年、日本在来馬(和種馬)はサラブレッドと比較してその小柄な体形やポニーという言葉のイメージから小さくて歩兵よりも遅く、大鎧武者を乗せると直ぐに疲れてしまいよたよたとしか走れずに戦闘では役にたたず軍馬不適格と見做されている。しかし普段の騎乗や流鏑馬での力強い走行を見るとそのようには感じられない。そのため実際に大鎧を着て日本在来馬に和式馬具を装備し和式馬術にて走行しその能力を確認することとした。

 
図1.1 日本在来馬の大鎧武者 図1.2 サラブレッドの大鎧武者
 

   
2.用語解説

 2.1 日本在来馬(和種馬)
 日本に古来から存在する馬で現在北海道和種(道産子)、木曽馬、野間馬、対州馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8種が現存するがその多くが絶滅の危機に瀕している。この中で大きな北海道和種や木曽馬で体高は130~135㎝程。なお体高147㎝以下の馬をポニーと呼ぶ。
   
 
図2.1.1 木曽系和種馬 図2.1.2 体高の定義



 2.2 和式馬具

  2.2.1 和鞍
 和鞍は前後に立つ前輪、後輪(しずわ)で体が前後にずれるのを防ぐ。鎌倉時代までは厚く高い軍陣鞍が好まれたが室町時代になると薄く低い水干鞍が広まった。  
図2.2.1.1 和鞍
図2.2.1.2 軍陣鞍 図2.2.1.3 水干鞍

  2.2.2 三懸(さんがい)
 三懸は胸懸(むながい)、尻懸(しりがい)、面懸(おもがい)の総称で、胸懸は鞍の前、尻懸は後ろを固定し、面懸は銜をつけ頭に装着する。  
図2.2.2 三懸

  2.2.3 和銜(わばみ)
 和銜は洋銜とは違う独自の形状をしているが、実験では安全性を考慮して普段から使い慣れた洋銜を使用。  
図2.2.3 和銜

  2.2.4 和鐙(わあぶみ)
 和鐙はスリッパのような形状をしており、安定して立てるようになっている。  
図2.2.4 和鐙


 2.3 和式馬術
 鐙に立ち腰を浮かし鞍に体重をかけない様に騎乗する。これを「立ち透かし」と言う。高速で駈ける馬の上で両手を放し重い鎧を着て体を捩じり多方向に騎射をするには鐙を短くして腰を上げ、高速で上下動する馬体の動き(反憧:はんどう)は脚で吸収し腰より上には伝わらぬようにして上体を安定させる必要があるため、このような乗り方を行う。馬の背に衝撃を与えず騎乗者も余分な動きをしないこの乗り方は馬と騎乗者双方の負担を減らし高速長距離走行を可能にする。
 
図2.3.1 馬手追物射(めておものい):右前方騎射 図2.3.2 追物射(おものい):左前方騎射

図2.3.3 横射 図2.3.4 押捩(おしもじり):左後方騎射

動画2.3.1 立ち透かし
反憧を脚で吸収し上半身を安定させる。

動画2.3.2 押捩
腰を浮かすことで馬の反憧が上半身に伝わらないので体を後ろに捩じっても安定して騎射ができる。

 ・モンゴル乗馬
 かつてユーラシア大陸を席巻したモンゴルにおいてもその鞍は和鞍の前輪/後輪に相当するブレーグ(鞍橋)があり、鐙は底が広く、駈ける際には鐙に立って鞍から腰を浮かす立ち乗りを行うが、人も馬も疲れず馬の力を最大限に利用できる遊牧民の優れた乗馬方法である。これは和式と類似点が多く、このことからも和式馬具/和式馬術が長距離移動、騎射に適したものであることが想像できる。
 
図2.3.5 モンゴル鞍 図2.3.6 モンゴル鐙

図2.3.7 馬装したモンゴル馬 図2.3.8 モンゴル立ち乗り
立ち乗りにより下半身から捩じることができる

動画2.3.3 モンゴル立ち乗り

 2.4 大鎧
 主に平安、鎌倉時代に用いられた騎射戦用の甲冑。
 
図2.4.1 大鎧 図2.4.2 騎乗例

 2.5 馬の歩様
   常歩(なみあし、ウォーク):人間に例えると歩き、時速約6.6㎞
   速歩(はやあし、トロット):人間に例えるとジョギング、時速約13.2㎞
   駈歩(かけあし、キャンター):人間に例えると速めのランニング、時速約20㎞
   襲歩(しゅうほ、ギャロップ):人間に例えると全力疾走、競馬では時速約60㎞~70㎞


3.実験概要

 3.1 日時
  2020年5月30日(土) 午前11時36分から約30分
  天候:雨
  走路:約3㎞ 未舗装道路

 3.2 馬
  名前:道之舗(みちのすけ) 木曽系和種馬 騸馬 体高130㎝ 体重は不明だが350㎏程度と予想。
  日頃から外乗や流鏑馬に参加しており、時速40㎞以上で駈けることが可能。

 
図3.2.1 道之舗 図3.2.2 流鏑馬での道之舗


 3.3 騎乗者

  小桜韋威鎧を着用。丸武産業製。

  
図3.3.1 小桜韋威鎧奉納飾 図3.3.1 小桜韋威鎧着用

 3.4 斤量

  斤量約101㎏、詳細は以下の通り。

  雨や馬の汗を吸い、小数点二桁以下は容易に変動するので切り捨て。

  パーツ毎に測定した合計は100.8㎏、全備重量で102.2㎏、そこまで大きな差はないので約101㎏と見做す。

(a) 水干鞍、
胸懸、尻懸
10.4㎏    (h) 蒔絵野太刀、
尻鞘、太刀緒
1.6kg
(b) 頭絡、面懸 1.6kg (i) 短刀 0.2kg
(c) 和鐙 3.7kg (j) 軍扇 0.1kg
(d) 毛布、パッド、
ライザーパッド
2.8kg (k) 箙、弦巻、
神頭矢4本
1kg
(e) 3.4kg (l) 補助具、
撮影機材
1.9kg
(f) 大鎧胴、脇楯
鳩尾板、栴檀板、
大袖、紐
10kg (m) 小袖、帯、
直垂、
乗馬手袋
2.3kg
(g) 毛沓、
脛当、籠手
2.7kg (n) 服を着た
騎乗者
59.1kg
図3.4.1 斤量内訳

 全装備を持って体重計に乗る。値は102.2㎏を示すが鞄を持っていたり一部地面に接触しているので正確な値ではない。
図3.4.2 全備重量

 3.5 データ計測、動画撮影方法
  データ:Smart Watch Garmin ForeAthlete235Jで計測
  動画:GoPro8を兜の左吹き返しに取り付け撮影
     (動画の画面が揺れているのは吹き返しに取り付けているため)
図3.5.1 ForeAthlete235J/GoPro8 図3.5.2 Smart WatchとGoPro装着例


4 結果
 4.1 走行結果 (詳細は動画参照方)
  測定期間 動画の凡そ11分46秒~21分12秒あたり
  距離:2.99㎞
  時間:9分26秒
  平均速度:時速19.0㎞
  最高速度:時速42.2㎞ 動画の21分あたり
  斤量:約101㎏

図4.1 走路 図4.2 測定値

     歩様内訳
      常歩:28秒(4.9%)
      速歩:1分40秒(17.7%)
      駈歩:7分04秒(74.9%)
      襲歩:14秒(2.5%)
図4.2 歩様内訳

動画4.1 走破能力実験


 4.2 考察

 ・大きさ
 多くの人はポニーという言葉からシェットランドポニーを連想し、和種馬=ポニー=シェットランドポニー、小さいシェットランドポニー=和種馬が大鎧武者を乗せて走られるわけがない、と誤解するが、ポニーとは体高147㎝以下の馬のことであり、147㎝あればかなり大きな馬となる。また130㎝の和種馬なら身長168㎝の筆者でも大鎧を着れば重く動き難いうえに草摺や太刀が邪魔でなんとか鐙に足が届く高さであり、これ以上高ければ単独では騎乗できず力は強くても乗降には不便になる。小さくても130㎝もあれば十分な速度が出るので力不足ということはない。
図5.1 右から騎乗 図4.2 左から騎乗

 ・速度
 速度については行程の9割以上を駈歩、速歩で平均時速19㎞なので、一般的な乗馬とほぼ変わらない。最高速度に関しては時速42.2㎞であり時速60~70㎞を出すと言われる競馬に比べるとだいぶ遅いが、これは体格の違いと競馬の斤量60㎏より40㎏も重い約100㎏という斤量から納得できる値と考える。しかしこの速度で突撃する体重350㎏+斤量100㎏の馬を人間が止められるかと言えばそれは無理で、歩兵相手ならば十分な速さといえる。

 約3㎞を9分26秒というタイムは現代の長距離走選手と比較すれば負けているため、やはり和種馬は歩兵より遅いと捉える人もいると思われるが、このタイムはあくまで視界が悪い道で不意に人や車と衝突したり道を踏み外すのを避けるために抑えて駈けているからであり、実際に計測開始後直ぐに車と遭遇して常歩に落とさざるを得なかったこともあり、全力で駈けたタイムではない。また約3㎞を走りきった計測のラストの直線で時速42.2㎞を出しており、斤量約100㎏を背負ってのこの記録であるから、決して人より劣るということは無い(人類最速の男、ウサイン・ボルトが持つ100メートルの世界記録は9秒58。時速だと平均37.6キロで、トップスピードは時速44.7キロに達する)。制約の無い走路でならばもっと記録は良くなる。

 また歩兵はランニングウェアを着てシューズを履き舗装道路を走る現代人ランナーと違い甲冑を着て武器や食料を持ち裸足又は草鞋を履き悪路を駈けるのであるからこの馬より速く走ることは厳しいと予想する。もし足の速い歩兵がいたとしても部隊全員がこの速度で駈けられるとは考えられず、もし駈けられたとしても疲労困憊、戦闘能力を維持できない。一方で道之舗は測定前にも襲歩を行い、測定後も力が漲って更に襲歩を行い体力は有り余っている。

 5.まとめ
 以上のことから訓練された馬、適切な馬具/騎乗方法により在来馬は歩兵よりも速く軍馬として十分活躍できると考えられる。


6.参考文献

 日本の甲冑武具辞典 笹間良彦著 柏書房
 日本の合戦武具辞典 笹間良彦著 柏書房
 モンゴル馬との出会い ナムハイ トゥルトグトフ著
 Wikipedia ‐ 日本在来馬
 Wikipedia - 歩法(馬術)
 みんなの乗馬 - 馬の種類(ポニー)
 馬イラストのフリー素材
 Yahoo!ニュース


7.謝辞

 日頃の練習や実験に協力して頂きました馬達や関係者の皆様、特に道之舗号には心より深く感謝いたします。有難うございました。


  脇楯

 大鎧の右側を守る脇楯は伊勢貞丈によれば紐を肩にかけるとされるが、細い紐が肩に食い込む。走破実験の後左肩に酷い鈍痛を発し数か月腕が上がらなくなくなり、なにも肩にかけられなくなった。痛みはだいぶ引いたが今でも症状が残っている。騎乗の振動で長時間細い紐に脇楯や箙の重量がかかりダメージを負ったのだろうか。後三年絵巻では紐は肩にかけていないため、本来はこちらが正しい装着方法であろう。ただ着て歩くだけなら気が付かなかった。


  平知章@一ノ谷合戦

 一ノ谷の合戦にて沖の船目指し敗走する平知盛、知章父子源氏方の児玉党に追いつかれ、平家の要である父を討たすわけにはいかぬと知章は踏み留まり奮戦し討死。逃れ得なければ知章に報いることが出来ぬと知盛は涙を呑んで一人船に辿り着いた。

 馬体に垂直に振り下ろし空振りすると馬体を斬るか鐙に当たり危険。


  男衾三郎絵詞の騎馬武者

 男衾三郎絵詞で馬の腹を突かれる騎馬武者。
振向予定もカメラがあるとつい見てしまう…
左の鐙を外しているが大鎧20㎏で片足騎乗は無理。愛馬の傷が致命傷と悟り馬手側にベイルアウトしようとしているのかも。

 即座に抜刀するのに腕貫緒に手なんか通してられない。不時落下を防ぐために固くしているので片手では抜き難い。


  名越高家VS佐用範家

 1333年4月、後醍醐天皇の反乱鎮圧のため京に攻め上った名越高家は大将ながら先頭に立ち、群がる敵兵を片っ端から斬り倒しながら進撃するが、一息ついて扇いでいたところを忍び寄った赤松一族佐用範家に眉間を射貫かれ首まで貫通した鏃は脳を砕き骨を破り、あえない最期を遂げた。

   「気早の若武者」名越高家は北条嫡流の座を得宗に奪われ、宮騒動で大打撃を受けた名越氏の家勢回復の絶好の機会と思い功を焦ったのか、豪壮華麗な出立で全軍の先頭に立ち、敵兵の格好の的になったことが命取りに。でも眉間に命中して鏃が首から飛び出すって、上から射下したのか?兜が邪魔なはずだが…


  源義平 平治の乱


 待賢門の戦いで源義平17騎(うち一騎は平山季重)は重盛を生け捕りにせんと500騎の重盛軍に突撃、重盛は無理に相手をする必要は無いと内裏の大庭にある左近の橘、右近の桜の周りを逃げ回った。大鎧では吹き返しが邪魔で太刀を両手で真上には振りかぶれない。平重盛、平山季重は赤糸縅鎧で再現。
 
 


  細川清氏


 1362年8月、細川頼之に城を攻められた清氏は鎧を肩に引っ掛けたった一騎で飛び出していった。なんとまあ愚かな猪武者と思いきや、この清氏の強いこと強いこと。敵を馬ごと突き倒し、鎧ごと叩き斬り、清氏の後には屍の山。3000の頼之軍、たった一人の清氏のために大混乱に陥った。

野木備前次郎と柿原孫四郎二人の首を太刀の切っ先に貫いて清氏は叫ぶ。

「この秋津洲に、私より強い者がいるだろうか!」

 しかしその清氏も最後は伊賀掃部助の首を掻こうとして背中に回ってしまった短刀に手を伸ばした隙に草摺の下から短刀で突かれ討死し、自分の首も太刀の切先に貫かれてしまった。


  公方御剣所役

 公方の太刀を持つ役で馬手側に佩く。自分の弓箙は従者に持たせる。

 高級武士は危険でない場合太刀を家来に持たせるが、
足利義尚は戦場に赴くので太刀を佩いているのだろう。

 二刀流みたいだが大鎧では角度に遊びが無く二本同時には抜けない。両側に柄があり手綱捌きに不便。


  護良親王出陣図

 周りの付き人は準備できず、護良親王本人だけ。

 日本の馬術では暴れ馬を乗りこなすことが達人の証で、口取が沢山ついて押さえつけているほど良い馬と見做されまた。


  巴御前

 巴御前。日本史に甲冑を着た女性は幾人かいても、馬に乗って戦った女性は巴御前唯一人と聞いたことがある。昔は女性が馬に乗って操るなんて本当に珍しいことだったのだろう。但し、身の回りの世話をする召使の女性が後世に脚色されただけという説もあるが。


  伝足利尊氏像

 太刀を佩いているが抜き身の太刀を右肩にかける。室町時代ともなると烏帽子をかぶらなくても大丈夫になる。左足は鐙を外している。総鉄製約4㎏の重たい鐙に足を入れていると疲れるからだろうか。


  源義家@前九年合戦絵詞

 前九年合戦絵詞の源義家。

 馬の蹄の音、武具甲冑の触れ合う、かしましい金属音の中、「ところで、父者人(源頼義)は、いこう遅いご出立。もう、お立ちのそうな」と気にしていた後ろを振り返る。頼義一門の面目にかけても、此度の戦は勝たねばならぬ。


  竹崎季長、安達盛宗@蒙古襲来絵詞

 竹崎季長は分捕った敵軍の首級二つを安達盛宗の面前に据え、いつまでもいつまでも合戦の模様に話の花を咲かせるのであった。


  平永衡の従者@前九年合戦絵詞

 
 平永衡の処刑に先んじて四人の手の者が首を斬られた。
「きゃつばらの首はそれなる木に掛けて晒せ。首札などは無用じゃ。そうじゃ、髻でしっかと竿に引き結べ。」
「あたら永衡殿に仕えねばこうした憂き目を見ぬものを。故郷の女房子供がこの悲しい知らせをなんと聞くらん。」


 
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  奉納飾り

     
   
       
   
   

   
   
   
   
  完全装備

   
   太刀に箒鞘を装着するのを忘れておりました。なので正確に言えば完全装備ではありません・・・  
   

   
   
   
   
  騎射

   
   騎射の様子。前方の敵を射る追物射です。兜を被ると吹き返しが邪魔で弓を大きく引くことができません。  
   

   
       
   
  流し旗

   
  流し旗です。スタートを気をつけないと旗が吹き返しに絡まります。  
   

   
   
   
   
  天長地久儀

   
   天、地、人と弓を引いて一周します、天は意外と不安定です。また不時発射しないように気をつける必要があります。  
   

   
   
   
   
 
 
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